ブッダのつぶやき

 以前お伝えしましたように、中国から日本では、2月15日はブッダ(仏陀釈尊、お釈迦さま)が亡くなった日とされています。ブッダが亡くなったことは、「涅槃」(ねはん:インドの言葉ではニッバーナ、ニルヴァーナ:燃料が尽きて灯火が消え入るように尽き果てた状態を表すのが元の意味です)に入られたと表現されます。また、涅槃のことを、生死(しょうじ)の苦を滅して彼岸(さとりの世界)に度(わた)るという考えから「滅度(めつど)」ともいいます。ブッダ釈尊が滅度に入られたことを「仏滅」というのはこのような理由です。一般に知られている「仏滅」とは、どのような意味で用いられていますか。お手元にある暦や手帳に記されている大安・友引などは、「六曜」という日の占いで暦注(れきちゅう)のひとつですが、六日に一度仏陀が入滅されていませんか。ちなみに「仏滅」は、以前「物滅」、その前は「空亡」と表記されていました。

 ブッダが入滅されるという仏教徒にとって大きな出来事の前後の様子は、インドの古い経典や中国語に訳された(漢訳)経典をとおして知ることができます。インドの古代語であるパーリ語で書かれた『大パリニッバーナ経』の邦訳は、『ブッダ最後の旅』というタイトルで岩波文庫のロングセラーとなっています。

この経典とは別に、サンスクリット語で書かれた『大パリニルヴァーナ経』がシルクロードの交通の要所であった中央アジアのトゥルファン(現在中国の新疆ウイグル自治区)で見つかっていて、研究や翻訳がなされています。

 この経典においてブッダは、長きにわたる伝道教化の旅の途中しばしば滞在を楽しまれ懐かしい思い出の地ヴァイシャーリー(ヴェーサーリー)で、繰り返し次のように仰いました。   

  「この世界は美しい、人間のいのちは甘美なものだ。」

 ブッダが入滅の決意をされたとされるこの地での「つぶやき」は、ただ一度の限りあるいのちを生きている「わが身の事実」に真に向き合えたとき、より一層響いてくるのではないでしょうか。作家の五木寛之さんは、以下のように記しておられます。

 ブッダの教えの第一歩は、「人生は苦である」というところから出発している。いわば、徹底したネガティブ・シンキングからはじまっているといってもいい。この世は苦しいものであり、生老病死などのさまざまな苦に満ちている。その苦しみの中で、人間はどのように生きていくのか。ブッダは、そのことを終生説きつづけた人だった。それでも、最後の旅の終わりには、「この世は美しい。人間のいのちは甘美なものだ」とブッダにつぶやいてほしい、と切に願った人が多かったのではないか。人間は、徹底的な絶望のなかで生きつづけることはむずかしい。たくさんの人びとが、物語のなかのブッダに、自分の思いを託したことだろう。ひと筋の希望の光明を、ブッダの言葉の求めようとしたことだろう。

        『21世紀 仏教への旅 インド編・下』五木寛之(2006年 講談社)より