法然にも筆のあやまり?

本年10月より11月末まで、太宰府市の九州国立博物館にて「法然と極楽浄土―浄土宗850年の歴史と文化財―」という特別展が開催されました。親鸞聖人が師と仰がれた法然房源空上人(1133~1212)にちなんだ展覧会でしたので、前後期ともに九博を訪ね、国宝や重要文化財である数々の「臨終来迎図」、さらには奈良・當麻寺の国宝「當麻曼荼羅」の前では、圧倒されながらもゆっくりと時間を過ごすことができ極楽浄土の世界にしばし身を浸しておりました。

 それ以外に私が魅かれた展示品の一つに、「一行(いちぎょう)一筆(いっぴつ)結縁経(けちえんきょう)」(阿弥陀経)がありました。図録の解説によれば、「結縁経」とは、皆で経典の功徳に預かることを目的とし、複数人で分担書写し供養したもので、平安時代に流行したそうです。一行ごとに筆者を代えて経文が書写され、各行の下に筆者の名前が記されています。展示されていた『阿弥陀経』の128行目には、「佛子源空」の署名があり、そのことがわかるように展示されていました。

 源空すなわち法然上人が書写された行は、「言釈迦牟尼佛能為甚難稀有之事能於娑」という部分です。「釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)」(お釈迦様のことですが)の「牟」という字が欠けていたのか、「迦」と「尼」の横に「牟」という字が書き加えられています。解説にはとくに言及はありませんが、法然上人が書写される際に、一字飛ばしてしまわれたのでしょう。自分で後に書き加えられたのか、別の人が気づかれて書かれたのか。いずれにしても、最も大切なお釈迦様の名前を書写できる番が巡ってきたにも関わらず、一字飛ばしてしまったことに「気づかれた」時の法然上人のお気持ちはいかほどであったのだろうかと想像が膨らんだことでした。

 さて、法然上人が書写された「阿弥陀経」のこの部分には、どのようなことが説かれているのでしょう。「言」という語頭の語は、「かの諸仏らもこの言をなせり(かの仏がたもこのようにおっしゃっています)」ということを表しており、その諸仏の言葉が以下のように続いています。「釈迦牟尼仏、よく甚難(じんなん)稀有(けう)の事をなして、よく娑婆(しゃば)国土の五濁悪世、劫濁(こうじょく)・見(けん)濁・煩悩(ぼんのう)濁・衆生(しゅじょう)濁・命(みょう)濁のなかにおいて、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間難信(なんしん)の法を説きたまふ」と(下線部分が法然上人の書写部分)。現代語に訳すと以下の通りです。「釈迦牟尼佛は、世にもまれな難しく尊い行を成しとげられた。娑婆世界はさまざまな濁りに満ちていて、汚れきった時代の中、思想は乱れ、煩悩は激しくさかんであり、人々は悪事を犯すばかりで、その寿命はしだいに短くなる。そのような中にありながら、この上ないさとり(阿耨多羅三藐三菩提)を開いて、人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになったことである。」(『浄土三部経(現代語版)』本願寺出版社より)

 「娑婆」とはサンスクリット語のサハーを音写した言葉で、もとは「大地」という意味ですが、仏教ではこの語を「耐え忍ぶ」「堪忍」などと訳しています。

老病死をはじめとするさまざまな苦しみ(思いどおりにならないこと)に耐え忍びながら生きていかねばならない人間世界のことを表す仏教語です。その娑婆国土において悟りを得られ仏陀となられたのが、12月8日(成道会)でしたね。

 この娑婆世界では、次々と思わぬ出来事が起こってきます。その中にあって、私自身のものの見方や考え方さらには歩みの方向が問われたとき、「阿弥陀仏の本願を依りどころに生きよ!」と念仏による救いの世界を説き示された法然上人の教えには一点の誤りもない、と上人を慕われ敬われたのが親鸞聖人でした。 称名

                       古希を迎えた日に 釈正法